これはサボり?それとも選択?自分の中の判断基準の話

これはサボり?それとも選択?自分の中の判断基準の話

2026年1月11日

私はよく、「ちゃんとしない」選択をしています。

朝ごはんを簡単に済ませたり、昼は毎回同じものを選んだり。

一見すると、ただの手抜きやサボりに見えるかもしれません。
でも自分の中では、なんとなくではなく、ある基準で判断しています。

判断基準はひとつだけ

何かを省くかどうか迷ったとき、私が確認しているのは、次の一点です。

「それをやらなかったことで、あとがラクになるかどうか」

今この瞬間がラクかではありません。
その後の仕事や一日の流れが、少しでも軽くなるかどうか。

判断材料は、それだけです。

朝ごはんを「ちゃんと食べない」理由

朝は、妻が先に家を出ます。

私は洗濯をしてから仕事に入ることが多く、
食事まできちんと整えようとすると、どうしても慌ただしくなります。

無理にちゃんと食べようとすると、

  • 準備に時間を取られる
  • 仕事の始まりが遅れる
  • 気持ちの切り替えがうまくいかない

こうなるのが分かっています。

だから、朝は食べないか、簡単に済ませます。

それで仕事にすっと入れるなら、私にとってはその方が「あとがラク」です。

昼ごはんを毎回同じにしている理由

昼ごはんを考えるのが嫌なわけではありません。

ただ、毎日そこに判断を挟むと、午後の集中力が削られる感覚があります。

「今日は何を食べようか」

この小さな迷いが、意外と残る。
だから昼は決めています。

迷わないことで、午後が軽くなる。
それなら、毎回同じでいいと判断しています。

サボりとの違いはここ

自分の中で、意識して区別しているのは次の点です。

  • あとがラクになるからやらない → 選択
  • ただ面倒だから避ける → サボり

正直、境目ははっきりしないこともあります。

でも、「その後どうなるか」を一度考えるだけで、自分なりの答えは見えてきます。

整えないことは、考えていないことではない

整えない選択をしていると、何も考えていないように見えるかもしれません。

でも実際は逆で、考える場所をあらかじめ決めているだけです。

全部をちゃんとしようとしない。

その代わり、「ここだけは判断する」と決めている。

迷ったら、この質問だけでいい

ちゃんとやるか、やらないかで迷ったとき、

私は自分にこう聞いています。

「これをやらなかったら、あとがラクになる?」

答えがYesなら、やらない。
Noなら、ちゃんとやる。

それだけで、平日の過ごし方はかなり軽くなりました。